1941-1974 日本(東京都)
洋画家。夭折の画家。
短い制作期間ににも関わらず、水彩を中心に油彩、版画など2000点程の作品を制作。
1957年早稲田大学高等学院に入学。絵画の道を志し文化学院美術科に入学するが、2年で退学し早稲田大学に入り直す。美学美術史を学びながら独自に制作を続ける。
1966年に始まった大学紛争に衝撃を受け、作風が一変。イラスト風のキャラクターが描かれた明るい色彩の作品から、線を多様した抽象的で内省的な作品へと変化する。外出の時間が減り、部屋にこもって作品を制作するようになる。
1974年の九州旅行の際、瀬戸内海にてフェリーより転落し死亡。
父は抽象画家の難波田龍起。